掲載日:2010年09月21日(火)12:49

いや〜疲れた。 全神経を使い果たした。 全ての疲れがどっと出た。
5月5日の県大会が終わり、少し間を置いて、「九会」(くえ)の振り落としに入る。
思い返せば、今から3〜4年前 まほろば衆の代表 相川さんと何かの時に話をしていて、こんな事ができたらいいね〜 の会話から始まった。 その時はそれだけで話が終わり、それから2年近く、月日が流れたと思う。 そして、1年ぐらい前に、一緒にお酒を飲むことがあり、それから、だんだんと現実味を帯びていく話しになっていった。
「何か、変わったことやりたいね」「遊び心で、何かできたらいいね」「お互い踊り子の人数が少ない者同士、一緒にやったら、少しは見栄えもよくなるかも」「30人ぐらいで踊るってどんなんやろ?」 そんな話しからこの「雙月」が生まれた。
1年前から、電話などで、テーマや雰囲気 などを決めていく。 自分の中では、崋劉眞としてオリジナル曲を3つ持つまでは、考えられない、考えたくないことだった。 何故かは、うまく言えないが、それだけのことをやるなら、3曲自分達のオリジナル曲があって、チームとしても、やっと落ち着くのかな〜 そしたら、遊び心も出していいのかな〜と思い それが、なんとなくの自分のケジメみたいなものだった。(しょうもないことなのですが・・・)
確か去年の11月に直接、相川さんと会って、ユメの話しを現実に一歩近づかせたような・・・ その時初めて、筆をとり、テーマ・イメージ・面のデザインを真剣に話したような
それから曲作りに入っていった。 初めて曲が完成したのが、2月の頭ぐらい。 自分は耳の手術で入院していて、ベッドの上で聞いていた。 ベッドの上で曲を聴きながら、ここの音はなくしたい。ここに琵琶の音が欲しい。カラスの鳴き声は小さく 鐘の音をもう一つ などなど、ベッドの上から相川さんに連絡した記憶がある。 そういえば、CDはお見舞いも兼ねて相川さんが、わざわざ持って来てくれました。(ありがとうございます)
そして無事に退院して、1週間後から、振り付けに入った。 いつもと違うのは、自分のチームだけでなく、もう一つのチームにも振りを教えるということ! 自分のチームだけであれば、とりあえず、振りを創って、振り落としの段階で、変更したりができる。 ただし、今回は山口と太宰府で同時進行しなければ、いけない。 ということは、振りを次から次に変更できず、極力、完成型に近いものをビデオで撮ってしまわないといけない。 一つ一つの振りを創っては、何回も踊ってみて、 ん〜・・・となれば、創り直し よし! となったら、それを撮影・解説をつけていく を繰り返した。 いつもより倍近く時間と神経を費やしたような・・・ 4月頭ぐらいまで、かかったような
崋劉眞は、とりあえず、5月の県大会に集中 まほろば衆さんも4月の下旬に行われた真舞祭 そして「五行」のお披露目に集中というのもあって、お互い5月の半ばから練習を始めた。
今、思えばその間にいろいろありました。
今年中にお披露目ができたらいいね というのが、テレビ撮影の兼ね合いがあり、急遽、9月の「福こい」に出すようになったり あれは焦りました。(1度は相川さんに断りをいれたのにさ〜・・・)
面の強度の問題もありました。
練習会場の問題も
8月には、ちょうちんまつりもあり、そこで踊る白狐の振り付け・練習もあったな〜
そういえば、合同練習は何回やったやろ? 3回?4回? 個人的に太宰府に行ったこともあったし、平日に5人ぐらいで、山口に来てもらったことも1回あったかな〜
本当に今思えばよくやりましたよ 面の交渉事もあったし、衣装の生地選び、旗のデザインと交渉 鳴子の件などなど
本当は9月に1度は合同練習をしたかったが、9月の1週目は水俣・2週目は奈良3週目は本番!まほろば衆さんは練習をされてると連絡もあったので、気持ちの中でも、めちゃくちゃ焦りがありました。 正直、プライドの面でも。
なぜなら、崋劉眞は自分が創った振りを自分が直接、教える。 まほろば衆さんは、合同練習で伝えたことを、あとは自主練習という形でやるだけ。 絶対に、足を引っ張るわけにはいかないので 正直、ヒヤヒヤでした。
なんだかんだで、壊れた面の修理・追加も5日前に完成 振りの変更もだいぶあったな〜 最後の早い部分のフォーメーションも、半分は変更したし・・・ あの時はみんなの眼が冷ややかでした・・・ 電話で振りの変更を伝えたり
8月の末に煽りの文章が完成した。
今回、「九会」は楽曲 カズ兄さん 煽り 相川さん 振りが自分 面・鳴子・衣装・旗のデザインなどは相川さんと自分でおこなった。
煽りの文章をいただいた時が一番焦ったかも その時に自分が、この「雙月」の中で、一番遅れているのは、自分や! やばい 踊り子にあれだけ練習させて、自分の煽り一つで、台無しにすることは絶対に許されない! 2週間何回も繰り返し読み返した。 当日は、一応カンペを用意してもらったが、これは読みたくない!と心に誓っていた。 堂々と立っていたいから!
そんなこんなで3ヶ月と半 あっという間に過ぎていった。 本当に強行軍!!
当日の朝、衣装に初めて袖を通す。 あれ? 帯のマジックテープの位置とか合ってないやん! やべぇ あわててスタッフで来ていてくれた子に補正をお願いした。 当日の朝、マイクロバス1台、スタッフを含めて23名で福岡に到着 簡単な通しを行い、曲に合わせて初めて煽りも相川さんと2回程度 行う。 あとは、己の暗記力を信じるのみ!!
そして、11時ちょいに会場へ到着 自分達の演舞は12時18分 初披露でしかも初舞台が審査 ふぅ〜 集中あるのみ
演舞20分前に待機 全員が緊張しているのがわかる 表情はもちろん硬いし 言葉数も少ない もちろん自分も緊張している。 演舞直前、みんなには「間違ってもいいから、とにかく思い切っていこう ここまでやったんやから 楽しもう 5分後には全て、終わっちょるから」 これだけ言って送り出した。
正直、自分も余裕がなかった。 まず、いつもなら演舞を観ながら煽るのだが、今回は余計なものは頭に、眼に入れまい と思い、前だけを見て煽った。しかも自分が今、どの部分を煽って とか考える余裕もなく さらに、相川さんのマイクの音が出ない。 紹介文も読まれなかったので、自分達の飛び出るタイミングも合わせられない。 自分のマイクは音が入ってる?など、アクシデントから始まった。
何より、これは毎回のことだが、自分の考えた振りは、観てくださる方に、どう映る? 受け入れられなかったら? たいしたことないね なんて思われたら・・・ ぶっちゃけ、こればかりは演舞が終わるまでわからない! それまでは気が気ではなかった。 練習では厳しいことを言いつつも、踊り子はしっかり練習して、これで、たいしたことない と思われたら 本当にこの「雙月」に関わられた方・踊り子に申し訳ない 1会場目が終わるまで、この不安は消えなかった。 禿げたね・・・
なんだかんだで、1会場目が終わった。 お客さんからはたくさんの拍手をいただいた。 「よし! これで肩の荷がおりた。 テレビ局の方には申し訳ないが、もう帰ってもいいや」 って思った。 拍手が貰えたことと、一般のお客さんから「次はどこで踊る?」「何時から?」というのを3人ぐらいに言われて、もう十分 と思った。 この声が一番嬉しい! 自分で創り上げてよかった!と思える唯一の瞬間だ。 結果は、なんとなんとDブロック1位通過!!! 出来すぎや〜 相川さんは 最初の煽りの1分間に結構、かけてるところがあったみたいで、マイクの音が出ず、その1分間は煽りなし それで1位通過 複雑な気分と、俺の1分間は必要ないんや〜 としょげていた(笑)
そして、残りの2会場 ゆ○なが、体調を崩す 急遽、そこだけ空けての演舞 最後の決勝のステージまで、休んでということだったが、最後まで体調はよくならず、は○えがそこに入る 最後の会場 ゆ○なにも立たせてやりたかったが、こればかりは仕方なかった。
決勝はここまで、支えてくれたみんなの想いを胸にやりきった! 間違えた子もいるし、煽りもタイミングがズレたりしたが、みんなやりきった表情をしていた。
結果は6位入賞 本当に本当に嬉しかった。 たぶん、自分達、崋劉眞だけでは、成し遂げられなかったことが、「雙月」で成し遂げることができたんだと思う。 最後に会場の入り口で結婚式のような写真を撮った。
場所を移動して、22時から簡単な軽い打ち上げを行った。 スタッフさんも含めて約50人! 多っ! ここで、いろいろと話したが、「本当にキツかったし、よく集中した。 でもやってよかった。 結果も勿論、嬉しいが、ここまでやってきたこの3ヶ月間が、今思えば、一番楽しかったね」 これが全てだったような気がする。 今まで、煽りなんて練習したことは1度もなかった。 常にぶっつけ本番の数年間。 2週間、本当に練習した。 水俣で、奈良で 休憩間に 行きしなのマイクロバスでも1時間 本番前の1時間も何度も読み返した。 後にも先にも、もうないような・・・
正直、変なプライドもあった。 まほろば衆さんも自分達のプライドがある中で、他チームの自分が創ったものを踊る そこへ、うるさく注意される 絶対に嫌やろうな〜 とか 多分踊り子の間でも、あの子には負けたくないとか
自分の中に一番あったのは、自分が振り付けして教えていいの? これが一番強かった。 まほろば衆さんの中には絶対、仕方なくとか、嫌だな〜 って思う子もいるやろうな〜 って 相川さんにも相談したこともあります。 大丈夫ですか? って 「全く大丈夫です。 フォローしますから」 の声に少しだけラクになった。
そんなんも、こんなんも含めて、全部が楽しかった!
次はいつ、この「雙月」「九会」を踊るのかな???
福来いも終わりこの木曜日からは、「鵺暁」に集中しよう。 遊び心で始めた「雙月」 まほろば衆 崋劉眞 それぞれのオリジナルがあり、そこがあるからこそ、この「雙月」を成し得ることができた。
次の練習からは気持ちを切り替えて、まだまだ、踊り込みの足りない「鵺暁」の練習あるのみ!
最後に応援していただいた皆様、福来い祭り運営のスタッフの皆様 お世話になりました。 ありがとうございました。 夏凪さんも大阪から来ていただき(2週連続、お会いできて嬉しかったです。 奈良に引き続き最後に、ちゃんとした挨拶ができなくてごめんなさい)お披露目にも立ち会っていただいた。
でも今回、自分達が、いっぱいいっぱいの中、踊りに集中することができたのは、まほろば衆から数名 崋劉眞から数名 スタッフとしてついて来てくれた方のお陰と思ってます。 本当にありがとうございました。 次は一緒にステージに立とう!
本当に疲れました・・・
長文になりましたが、読んでいただいた方 ありがとうございました。 誤字・脱字がありましたらご容赦ください。 今回は当日までのことを中心に書きました。 後日、近いうちに誰かが、当日の詳細を載せると思うので、そちらを楽しみにされてください。 たぶん、写真入りで、わかりやすいと思いますので。
「 コ 〜 ン !!! 」