掲載日:2011年10月06日(木)16:47

すでに、開会して今日で6日目 遅くなりましたが、書こうと思います。
ことの始まりは1年半前 ある飲みの席で「きらら博」から10年 何かやりたいね の一言から始まった。
10年前の「きらら博」 山口県商工会議所青年部連合会という組織で、よさこい全国大会と冠をつけ、よさこい全国大会を開催した。 その頃は自分も踊り子で、半ば、嫌々踊りつつテレビでも「ブームでなく、文化にしたい」とコメントをしてしまった。 それから10年間 いろいろなことがありながら、現在まで、よさこいを続けてきた。
そして、「きらら博」から10年 国体のオープニングで、「500人で男なら!」 というチャンスが巡ってきた。
このときも正直自分は、やることに関しては全然、協力していきます。というスタンスだったが、まさか指導者側になってまとめて ということには、自信がなかった。 なぜなら、自分の連だけでも精一杯 ましてや、500人(後に750名に人数が増えます)をまとめるなんてとてもとても ついて来てくれる人がいるかどうか、反対意見が出るのでは? とギリギリまで渋っていました。 それから2ヶ月ぐらい経って協議会での総会で、濱崎さんのほうから「来年は国体のオープニングで、500人で男ならを踊ります」と発表があった。 しかも、踊り責任者は・・・自分
その席で腹をくくりました。
そして、昨年末に「男なら」のレクチャーを行い、そのあたりから、「きらら博」から10年のメモリアル 山口でよさこいを立ち上げた青年部にも関わっていただこう!ということになり気づけば現在に至る、760名での演舞になった。
青年部が関わるというところで、「厳しいやろ〜」「難しい」「誰もやらないのでは?」 などなどマイナスな発言が結構出た。自分もやるなら4月から始めないと それでも遅いぐらいと思い、山口YEGメンバーである自分は、4月からYEGの指導もすることとなった。
4月からの練習は山口YEGから16名の方が集まってくれた。 月に2回の練習と、青年部の中から指導者をつくり、自主練も月に2回ペースで行った。しかも自主練は、情報芸術センターの中庭 6・7・8月は相当暑かったと思います。 引っ張っていってくれた、西村副委員長(自分が委員長を務める委員会の副委員長) ありがとうございました。 各会員に、手書きでFAXをしてくれたりして、引っ張っていってくれました。そんなこんなで2ヶ月前のリハーサルまで日にちは過ぎた。 わずか30分の出番 こりゃまずいな 列がとにかく揃わない 各ポジションの代表の方に、「760名での演舞です。 勿論、きっちり踊れることはベストですが、760名の気持ちを一つにするなら、踊りの小さなところではなく、列を揃えて、声を出すことを徹底的にやりましょう!」と伝えた。
そして1週間前のリハーサル その前のリハーサルとはかけ離れた、素晴らしい演舞になりました。
いける! あとは本番を待つのみ!
そしていよいよ当日 前日の雨が嘘のようにあがり、少し暑いぐらいの天気
約50年に1回のイベント 多分、次に山口で開催される頃には自分は・・・(笑)
最初は嫌々始めた「よさこい」 それが今となっては「国体」のオープニングというデカいステージ立たせてもらい、本当に感謝です。
ただ長くやっているというだけで、指導者という立場をさせていただき(ほとんど何もやっていませんが) 充実した、半年間をおくらせていただいて、関わった皆様に本当に感謝です。 ありがとうございました。
青年部 特に山口YEGの皆様には(若干、上から目線ですが)出来が悪い子、手がかかった子ほどかわいいもので(笑) 嘘です。(半分本当ですが) 最後まで自分のしごきにも逃げ出さず、いじめにも耐え抜き、最後のさいごまでI氏には手をやきましたが 本当にここまで頑張っていただき、ありがとうございました。 お疲れ様でした。 支えていただき、盛り上げていただきありがとうございました。
そして最後に、先程も書きましたが、大して何もやってませんが、長くよさこいを続けてきたというだけで、あのような場に立たせていただき、そして一緒に最後まで、付き合っていただき、参加された皆様、本当にありがとうございました。
10年前にさかのぼって、詳しく書きたかったのですが、とにかく忙しくて、感謝の言葉だけでもと思いやっと、書くことができたしだいでございます。
支離滅裂な文章、誤字・脱字 ご容赦ください。